今日は何の日?
「この味がいいね」と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日(俵万智『サラダ記念日』*1)
こんにちは。SushiKingです。
この記事は2022年5月7日に書いています。
このブログは多分知り合いしか読まないのでご存知の方も多いかと思いますが、私の本名である「しろん」は私の誕生日(4月6日)に由来します。
そして運転免許証を持っている方はご存知の方も多いかと思いますが、運転免許証の有効期間は前回の更新等の後決められた年数が経った年の誕生日の1ヶ月後までと定められています。*2
また、運転免許証の有効期間を更新するには有効期間が満了する日までに決められた手続きをする必要があります。*3
私の免許証は前回の更新から3年後の誕生日の1ヶ月後である今年の5月6日に有効期間が満了し、引き続き免許を持ち続けるにはそれまでに手続きをする必要がありました。
そして更新手続きをしないまま5月7日を迎えました。
お力添えありがとうございました。
数週間前には免許更新しなきゃなーと思っていたはずなのですが、先延ばしにしているうちに気がついたら締め切りを過ぎていました。
こういうやらかし(普通に計画的に行動すれば締め切りに間に合うはずなのになぜか遅れてしまうやらかし)は昔からよくありました。
小学生のころは友達への年賀状を12月31日の深夜に出して1月3日くらいに届けられていましたし、中高生のころは宿題を期限通りに出せることの方が少なかったです。大学生のころはこんな感じでレポートを期限内に提出できず留年しました。
計画的に行動できる人ならば免許の更新のような簡単なタスクは早い段階で片付けるはずですし、1月1日に届いて欲しい年賀状のことで12月31日の夜に慌てることはないはずです。
こういうミスが起きる直接の原因は私の先延ばし癖にあることはほぼ明白なのですが、先延ばし癖が起きる原因(ミスが起きる究極の原因)は私の想像力の欠如であるように思えます。
遠い未来に起こるであろう出来事をクリアに想像する能力が足りないのでものの見方が近視眼的になり、時間に余裕があるうちに前もって焦ることができず、期限ギリギリもしくは期限超過後にようやくタスクを残していることの重大さに絶望できるようになります。
こう考えると、Laura & Esther(1984)*4*5がprocrastination(先延ばし)を
the act of needlessly dalaying tasks to the point of experiencing subjective discomfort(主観的な不快感を感じる時点までタスクを不必要に遅らせる行動)
と定義しているのがまさに的を射ているなあという気持ちになります。
また生きづらい世の中への恨みを深めてしまいました。
失効した免許は復活させることはできないそうで、新たに取得し直す必要があるそうです。
ただ不幸中の幸いで、失効から6ヶ月以内ならば学科試験や技能試験などが免除され、適正試験のみでもう一度取得し直せるようです。*6
平日の8時30分から14時までの間しか手続きができないそうで、9時5時(正確には9.5時6.5時)*7で働く私は有給休暇を取って行かなくてはなりません。
有給が付与されたら適当な日に休みもらって免許とってきます。
そういえば免許の更新してないな 五月七日は無免許記念日
*1:https://www.amazon.co.jp/サラダ記念日-俵-万智/dp/4309024882
*4:Solomon, L. J., & Rothblum, E. D. (1984). Academic procrastination: Frequency and cognitive-behavioral correlates. Journal of Counseling Psychology, 31(4), 503–509.
*5:https://psycnet.apa.org/record/1985-07993-001
*6:やむを得ない理由がなく、失効後6か月以内の手続 警視庁
*7:9時30分のこと9.5時って言いますか?
見た感じ痛いタイ人か多美
こんにちは。SushiKingです。
最近は積読を消化しようとしています。
が、私は文章を読むのが人よりも遅いようで、遅々として消化が進みません。
そこそこちゃんと読んだほうがいい本*1だと一日中読書しても新書一冊読み終わらなかったりします。
今はサピエンス全史を読んでいて、上下巻合わせて全20章からなる本の13章まで読み終わりました。1章読むのに大体1時間くらいかかっているので単純計算であと7時間くらいかかる見通しです。
そんな感じで一冊の本を何日かかけて読んでいて効率は悪いですがこれはこれでまあまあ楽しいです。
サピエンス全史はおしゃれな表現が多くて好きです。例えば「文化的な偏見からではなく生物学的な現実から同性愛を禁止するのだ」という主張への反論として、「自然の法則に反する真に不自然なことはそもそも発生しないので人間が禁止する必要はなく、人間が禁止しているものは全て文化的な見地から禁止しているのだ」と主張する際に
男性が光合成をすることや、女性が光速より速く走ること、マイナスの電荷を帯びた電子が互いに引きつけ合うことを、わざわざ禁止した文化など、これまで一つとしてなかった。
と書いています。
こういうこと当意即妙に言ってる人を見ると大人だなーと思います。私も大人になりたい。
いいタイトルが思いつかなかったので好きな回文を書きました。
みたかんじいたいたいじんかたみ
奈良に行きました
こんにちは。SushiKingです。奈良に行きました。
本当に野生の鹿がたくさんいました。都市伝説じゃなかったんですね。
一見おとなしい鹿たちも鹿せんべいの気配を感じると凶暴化します。
東大寺の大仏殿。めちゃめちゃ大きかったです。奈良市によると世界最大規模の木造建築物らしいです。*1
どういう要件を満たしたら規模が最大って言えるんだろう。容積が最大ならいいのかな。
中身の大仏様。めちゃ大きでした。
例に漏れず大きな仏様の周りを小さな仏様が取り囲んでいます。
大仏殿の中にあった古の階段。傾斜が急で降りるときだいぶ怖そうです。
白川郷の合掌造りの階段もここまでではないにしろかなり急だったし、古い家屋の階段の傾斜は急がちです。傾斜緩くするとたわみが大きくなるからかな。下に支えみたいなものつけて傾斜緩くできないのかな。
なんかフェルミ推定の問題がありました。
薬師寺。歴史の資料集に載ってそう。
ここに載せてる以外にもたくさんお寺を見ました。これまで自分の中では「奈良の古いお寺」という大きなカテゴリ分けしかされていなかったものたちに、「法隆寺」や「薬師寺」などのラベルを貼っていく作業だったのですが、そこそこ楽しかったです。
また世の中を見る解像度を上げてしまいました。
京都に行きました
こんにちは。SushiKingです。京都に行きました。
金閣寺。一階がわびさびで二階と三階がピカピカでした。
銀閣寺。全部わびさびでした。
二条城。本丸は工事中で見られませんでしたが、二の丸にある大政奉還が発表された間とか見られました。大政奉還とセットで習う王政復古の大号令が中学生のとき大好きだったの思い出しました。
清水寺。飛び降りたら痛そうでした。
清水寺の境内にいた仏様。大きな仏様の周りを中くらいの仏様が取り囲んでいて、さらにその周りをすごく小さな仏様が取り囲んでいて賑やかでした。
これどういう設定なんだろう。小さな仏様が成長して大きな仏様になるのかな。
一握りの個体しか大きくなれないからたくさん子ども産むのかな。もしそうだったらマンボウみたいでかわいいです。
清水寺の敷地内を人がいない方に歩いていたら出会った猫。目つきが悪くてかわゆい。
ぼくの好きなゆるキャラのクリアファイル。京都府長岡京市白黒竹食街道のしろんちゃん。*1
このキャラクターは5年ほど前に活動停止していて、もうグッズとかも作られてないんですが、長岡京市役所にかろうじて残っていたクリアファイルを譲り受けられる運びになったので受け取りに伺いました。大切にします。
2010年代前半のゆるキャラブームに乗じて生み出されたゆるキャラの遺品を見ていると、バブル期に栄えていたリゾート地の跡の廃墟を見ている時と同じような気持ちになります。
私の頭の中のReLU
こんにちは。SushiKingです。
ずっとアンドロイドOSのスマホを使っていたのですが、2週間ほど前にiPhoneを買いました。
そうすることでなんとなく丁寧な暮らしができそうな気がしたので。*1*2
アプリの再インストールや引き継ぎが面倒なので旧端末を引き続き使っています。iPhoneさんはつい最近まで買われた姿のまま箱にしまわれていたのですが、最近は旅先でカメラとして活躍しています。スマホとして使われるのはいつになるのでしょうか。
なんだか最近丁寧な暮らしを頑張っています。
ただこの言い方はあまり正確ではありません。もう少しだけ言葉を尽くすなら、これを頑張りたいという対象はないのに何かを頑張りたいという欲求が強まっていて、その高まったやる気の捌け口として日々の生活を頑張るという行動が表出している感じです。
暮らしを丁寧化させたいというよりは暮らしを丁寧化させるための行動をしたいという方が近いかもしれません。
目標があってそれに向けて何か行動するというというのが通常の構図だと思いますが、今回は行動することが目的になっていて、当然手段が目的化しています。
手段が目的化した人は本来は手段であるはずのもの(その人にとっては目的であるもの)に沿った行動が取れていれば満足し、本来目的であるはずのものに逆行する行動があったとしても気にしません。
今回の場合で言うと、本来であれば丁寧な行動をすることは丁寧な暮らしをするための手段でしかないはずなのですが、丁寧な行動をたくさんすることが目的になってしまって、非丁寧な行動を減らそうとする気持ちを持てなくなっているような状態です。
そしてそのような場合は自然な帰結として、成果を計算する際に、ニューラルネットワークでよく使われるReLUが用いられるようになります。*3*4
ある人がある日5つの行動をして、その丁寧さがそれぞれ(100, -200, 500, 200, -700)だったときに、その人のその日の丁寧さは100 + (-200) + 500 + 200 + (-700)と計算され-100になります。*5
ところが手段を目的化している人の場合は丁寧な行動の多寡に関心があり、生活全体としての丁寧さの多寡には関心がないので、その人の頭の中では100 + 500 + 200の計算が行われ+800の丁寧さを生み出したという結果を得ます。これは(100, -200, 500, 200, -700)をReLuに通して(100, 0, 500, 200, 0)に変換してから和を取ったのと同じ状況で、手段を目的化している人としていない人の差分は頭の中のReLUの有無であると言っても過言ではありません。(本当は過言です。)
その人の翌日の行動の丁寧さが(100, 0, -100, 0, 100)だった場合、客観的な視点ではその日の丁寧さは+100になりこの日の方が丁寧に生きられたことになりますが、頭の中にReLUを持つ人間の視点ではこの日の丁寧さは+200となり、前日の方が丁寧に生きられたと感じてしまいます。
こうして丁寧な暮らしがハックされます。
私の頭の中もまさにwith ReLUの状態になっていて、iPhoneを買った後使いこなしていなかったり、オーガニックレストランで食事をした帰り道にファミチキを買い食いして平然としていたりします。どちらも総合的に考えると丁寧さが負になっているのですが、私の頭の中ではiPhoneを買った部分やオーガニックレストランに行った部分だけがスコアに影響するので、大きな正の丁寧さが計上されています。
近況です。一昨日から姫路・京都・奈良を観光しています。
一昨日の朝一に出発して姫路城を観光しようと思っていたのですが、10時間ほど寝過ごしてしまったので、一昨日は移動だけの日にして昨日姫路城に行きました。
冗長性を持った旅行計画でアクシデントにも柔軟に対応できています。これが丁寧な暮らしです。
今日は京都を観光しようと思っていたのですが、お天気がよろしくなかったので休息日にしました。美容院にいった後スタバで競プロのための環境構築してました。旅行先でも普段通りの生活ができる。これも丁寧な暮らしです。
今開催されてるAtcoder Heulistic Contest*6に参加しようとしていて、そうするとRustの実行環境がないと結構不便そうだったのでがんばって構築しました。
実行時に無限に出るエラーと何時間も戦って、なんとか動くようにできたはずです。師匠のY田さんに聞けば一瞬で解決しそうだなーと思いながら自分でがんばりました。
パソコンの先生みたいになれるのかなーと思って数年前に競技プログラミング始めましたが、その見通しは完全に間違っていました。
あと東京にいる時は交通系電子マネーで決済したいときは「Suicaで」って言ってたんですが、京都では「ICOCAで」って言ってます。名古屋に行った時は「manacaで」って言ってましたし、福岡では「はやかけんで」って言ってました。郷に入っては郷に従うこれもやっぱり丁寧な暮らしです。
*1:これは偏見ですが丁寧な暮らししてる人みんなiPhone使ってませんか?
*2:丁寧な暮らしとは日々の何気ないことに手間と時間をかける暮らしのことだそうです。「丁寧な暮らし」ってどんな暮らし? 憧れの丁寧な暮らしを実践する方法をご紹介 | Oggi.jp
*3:ReLUはf(x) = max(0,x)で表される活性化関数で、入力値が0以上の時は入力値がそのまま出力されますが入力値が負の時は0が出力されるようなものです。私の理解があっていれば。
*5:1日の暮らしの丁寧さは朝から晩までの行動の丁寧さの和で計算されるという仮定を置いてます。
*6:MC Digital Programming Contest 2022(AtCoder Heuristic Contest 008) - AtCoder
新生児の小さなおててはかわいい
こんにちは。SushiKingです。今年の目標は細マッチョになることです。
今日は1月17日で、年が明けてから二週間以上が経ってようやく今年の初記事を書いています。
私は今可処分時間がたくさんあるのですが、それにも関わらずこんなに執筆間隔が空いているのはひとえに私の怠惰さによるもので、youtube鑑賞などの受動的なコンテンツの摂取に日々の時間の大部分を捧げているためです。
お正月は実家に帰っていました。
姉がその2ヶ月ほど前に出産していて、そこで生まれた姪との顔合わせがメインイベントでした。
新生児がどのくらいのペースで成長するのかあんまりイメージを持っていなかったのですが、対面した2ヶ月児は想像よりひと回り大きくて、想像よりひと回り無力でした。
寝返りを打つこともできず、口の周りにある物は何でも咥え掌に触れるものは何でも握り、心地よいときには喃語を話し不快な時には泣き声をあげるその小さな人間の未熟さを見ながら、人間の生理的早産*1みたいなものを実感したりしていました。
こんなよわよわな生き物を生き延びさせるのめちゃくちゃ大変そうで、姉夫婦がんばれーと思っています。
実際100年前には新生児の7%・乳児の16%ほどが亡くなっていたそうで*2、人間もうちょっと成熟してから生まれてきて欲しい気持ちになります。(近年はこれらの死亡率は当時の約100分の1になっていて、医療の進歩すごいです。)
一方で姪の成長速度がすごかったです。生まれた時の体重が3kgだったのが、生後2ヶ月で5kgになっていました。
2ヶ月で2kgの増加と考えると、「たったそれだけか。僕の方がすごいぞ。」という気持ちにもなりますが、これは人間がカエルよりも高く跳べることを誇っているのと同じ構図でまったくのナンセンスです。
絶対量でなく比で比べるべきで、自分の体の何倍も高く飛べるカエルは人間の何倍もジャンプが得意です。
そこで増加率に目を向けてみると、2ヶ月で体重が1.7倍になっているわけで、これはめちゃくちゃすごいです。
雑な近似をすると1日1%ずつ大きくなっていて、笑っちゃいそうになるくらい急速に成長しています。もし会社の同僚が毎日1%ずつ大きくなってたら、笑わずにいられる人ってそんなに多くないんじゃないかと思います。
文章にまとまりがない自覚はありますが眠いので寝ます。
明日(日付が変わって今日)から中国地方を観光します。おやすみなさい。
*1:人間は本来であればもっと胎内で成熟してから出産されるはずだが、何らかの理由で未熟な状態で出産されているという説。参考文献:人間はどこまで動物か - 岩波書店
*2:https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai20/dl/h2.pdf
水族館はしっかり者の長女、動物園は甘えん坊の次女
こんにちは。SushiKingです。
12月28日に東山動植物園、29日に名古屋港水族館に行きました。
それぞれを1日で回りきるプランを立てていたのですが、完全に見通しが甘かったです。
東山動植物園は動物園と植物園と子供用の遊園地が一体になったような施設なんですが、営業時間中にまわれたのは動物園パートの8割ほどで、植物園と遊園地はノータッチのままタイムアップでした。ぴえん。
翌日の水族館の方も、水族館と南極観測船と海洋博物館と展望台に入れるチケットを買っていたのですが、水族館にしか行けませんでした。ぴえんぴえん。
この見通しの甘さ(≒自分の能力の過大評価)とは付き合い始めて20年以上になるんですが、いまだにコントロールできずにいます。1日で回れると思った動植物園は本当は3日必要だったし、2時間でできると思った資料は完成までに5日かかります。
電車移動中は記憶力を過信してちゃんと確認せずに車両に乗って全然違う駅に到着するし、自転車移動中は運動神経を過信して手放し運転して転ぶし、食事中は胃袋の大きさを過信して食べすぎて気持ち悪くなるし、動物園では腕力を過信して自分の強さをインドサイとアジアゾウの間くらいだと見積もります。
ちなみに僕の中のリトル武井壮による東山動植物園強さランキングは
1. インドサイ
2. ぼく
3. アジアゾウ
4. クロサイ
5. カバ
です。どうしてもインドサイには勝てませんでした。
ところで東山動物園と名古屋港水族館を二日続けて訪れて、そのスタンスの違いがすごく目につきました。
二日目に訪れた名古屋港水族館では入ってすぐに眼前に広がる水槽の中で目の前すれすれを泳ぐシャチのダイナミックさを感じる展示に始まり、マイワシトルネードのパフォーマンスや鯨類の進化の過程を系統立てて学べる骨格展示など、人間の活動とは関係なく存在する動物たちの魅力を伝えようとする気持ちを感じました。
一方で一日目に訪れた東山動物園ではその種がどの程度絶滅の危機に瀕しているか、そしてどういった要因がその種の個体数減少を引き起こしているかなどを示す案内板がかなり多くあったり、第二次大戦中に動物園で飼育されていた動物たちがいかに生き残ったか/いかに死んだかを伝える案内板があったりなど、人との関わりの中で動物たちがどのような状況に置かれているかを伝えようとしている様子が感じられました。
言い換えると、名古屋港水族館ではその種や個体そのものを展示している自然科学博物館的な要素が強く出ていたのに対して、東山動物園は(もちろん自然科学博物館要素もありますが)それぞれの種や個体に人間が与える影響を展示している社会科学博物館的な要素も強く出ていたというところに大きな対照性を感じました。
そして、そういう対照性は名古屋港水族館 vs 東山動物園だけのものではなくて、多くの水族館・動物園間にあるもののように思えます。水族館は目の前にいる生物としての種や個体そのものをシンプルに展示しがちで、動物園は種や個体の背後にあるストーリーも合わせて展示しがちな気がします。
これはあまり根拠のない仮説ですが、そのような差(水族館は生物を展示し、動物園は生物+社会的なストーリーを展示するという差)は両者の稼ぐ能力の差による部分が大きいのではないかと思っています。
水族館は入場料収入などにより自立した経営が出来がちなため利用者の方を向いた展示をするインセンティブが生じ、動物園は自立した運営が難しがちで行政の支援に頼っているため行政の方を向いた展示(≒動物園の果たす教育的な効果などが前面に出ており、公費を投入する説明がしやすい展示)をするインセンティブが生じるという仮説です。
ここで、水族館は動物園よりも経済的に自立出来がちという部分のエビデンスについて軽ーく調べてみました。
自立した経営ができるかを見る際の指標として、施設の官民比に注目してみました。民間の参入が多ければその業界は経済的に自立した経営ができがちということになると思います。
日本動物園水族館協会*1の会員となっている水族館49*2のうち約35%の17*3*4が民間なのに対して、動物園は90*5のうち約18%の16*6が民間であり、民間率は約2倍です。*7
水族館の方が民間の参入が多いという結果で、水族館の方が自立経営出来がちという仮説と整合するものでした。
また、動物園の経営状況について書かれたものとして(高浜 2020)*8があります。そのなかで示されている下の図のように公立動物園はそのほとんどが税等負担率が負(≒赤字)で、税金による援助なしでは経営の維持が難しいであろうことが推測できます。
ということで、経済的に自立できる水族館は自分で身の回りのことをこなせちゃうしっかり者の長女タイプ、行政の援助を受ける動物園は周りに助けてもらうのが上手な甘えん坊の次女タイプです。なにとぞ。
*3:登別マリンパークニクス・鴨川シーワールド・サンシャイン水族館・マクセルアクアパーク品川・すみだ水族館・よみうりランドアシカ館・カワスイ 川崎水族館・横浜八景島シーパラダイス・関西電力宮津エネルギー研究所 丹後魚っ知館・鳥羽水族館・伊勢夫婦岩ふれあい水族館シーパラダイス・串本海中公園・大阪海遊館・NIFREL・城崎マリンワールド・マリンワールド海の中道・大分マリーンパレス水族館「うみたまご」
*4:東海大学海洋科学博物館は民間立とも言えそうですが、営利企業立ではないのでいったん官側でカウントしています。
*6:岩手サファリパーク・宇都宮動物園・那須動物王国・那須サファリパーク・群馬サファリパーク・東武動物公園・市原ぞうの国・富士自然動物公園・伊豆アニマルキングダム・伊豆シャボテン動物公園・熱川バナナワニ園・アドベンチャーワールド・神戸動物王国・姫路セントラルパーク・池田動物園・長崎バイオパーク
*7:管理運営者でなく事業主体の官民で分類しました。そのため例えば指定管理者制度を活用して自治体の施設をで民間が管理運営しているケースなどは官とカウントしています。
*8:https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/il/meta_pub/G0000438repository_04515986-71-2-69